2008年01月03日

吉野神宮 

おいらの田舎神社紹介

吉野神宮

歴史

吉野神宮は

吉野町大字吉野山小字丈六に鎮座し

後醍醐天皇を奉祀する

別表神社(旧官幣大社、現神社本庁管轄下)である。


吉野山は

後醍醐天皇が文保2年(1318)の

践祚以来天皇親政を志し

北条氏を倒して建武中興を成就したが

足利尊氏の造反にあい延元元年(1336)12月吉野山に遷幸され

吉野朝廷(京都の北朝に対して、南朝という)を

樹立したところとして知られる。


吉野朝廷は

一時期「吉水院」に行宮(皇居)を定めるが

のちに、「実城寺」を行宮と定め、「金輪王寺」と改称。

「吉水院」は、明治維新の神仏分離令の際

廃寺となり

明治8年(1875)「吉水神社」と改称。


これは、明治7年に、天皇親政復古を目指した

建武中興の理想が成就されたとして

「後醍醐天皇社」という名称のもとで

創立が許可され天皇ゆかりの旧吉水院内に

祀ったことによるものと考えられる。


しかし

後醍醐天皇の奉祀神社の創建を一寺院を

改称して充てるのは、不見識であるとされ

明治22年(1889)6月

「吉野宮」として新たな社殿を創立し官幣中社に列された。

明治25年(1892)の社殿完成にともなって

後村上天皇の

勅命により吉水院(吉水神社)に奉安されていた

後醍醐天皇の御宸像が奉遷され

明治34年(1901)には

「官幣大社」に昇格し

さらに、大正7年(1918)には

神宮の号を奉称して「吉野神宮」と改称された。

明治天皇は後醍醐天皇の御偉業を深くお偲びになられ

明治22年吉野神宮の御創立を仰せだされた。

次いで明治25年に執り行われた御鎮座際に勅使を遣わされ

御霊代を御奉納されると共に

後村上天皇がお作りになられたと伝えられ

それまで吉水神社(明治7年までは吉水院・南朝の行宮)

に奉安されていた後醍醐天皇の御尊像も

吉野神宮の本殿に奉還された。

由緒ある神社ですねぇ

わが田舎にあるとは・・・

大切にしていきたいものです

過疎化している場合じゃない

posted by 赤ちょうちん at 19:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 過疎化ストップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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